断捨離

 先日テレビを見ていましたら「世界で最も影響力のある100人」に、作家の村上春樹さんと「片づけコンサルタント」の近藤麻理恵さんが日本人として選ばれた。と伝えていました。
村上春樹さんは分かるのですが、片づけコンサルタント?近藤麻理恵?一体誰?と思い、そのまま見ていましたら、近藤麻理恵さんは独特の片付け術で現在世界的に有名になっている方なのだそう。
片付け術で村上春樹さんと肩を並べてしまうと言うのも凄いことだなと思い、ネットで少し調べてみた所、ものを捨てたり片付けたりするに当たって物自体に感謝の気持ちで接するという日本的な感性が世界に(主に欧米だと思いますが)受けているということのようです。
日本人の私的には、正直そんなに凄いことなのかな(スミマセン)と思ってしまいますが、使った物に感謝する気持ちというのは確かに大切なことです。
今回のこの「断捨離」という言葉は、片付け術と聞いて思い出した言葉です。

数年前の流行語大賞にも選ばれている「断捨離」、テレビ等でよく取り上げられていましたのでなんとなくは知っていたのですが、改めて調べてみると語源はなんと仏教の源流であるヨガの修行法から来ているとのこと。
ウィキペディアには以下のように出ています。
 断=入ってくる要らない物を断つ
 捨=家にずっとある要らない物を捨てる
 離=物への執着から離れる
これはまさに仏教の修行そのものです。
僧侶になることを出家といいますが、出家とは正にこの「断捨離」。
生きていくのに必要な物以外全てを捨てるのが出家ということ。
捨てるものの方が大きいので捨てるというよりは、自分が家を出て行くわけですが、出家は究極の断捨離といえます。
物を捨て、物への執着を捨て、最後には心の中の執着を全て捨て去る。これが修行の目標です。
もうずいぶん昔のことになってしまいましたが、私も若い頃福井県の永平寺で修行をしました。
入門する時に持って行けるのは食器、布団と最低限の衣服や日用品を入れた行李一つでした。
これは今も変わらないと思います。
人間が生きていくのに必要な物は、実は結構少ないものです。
今の世の中は物があふれ、情報があふれ、何が必要で何が必要でないのか、などと考えている暇もないくらいです。
物に振り回され、情報に振り回され、そんな状態に私達は心の深層で実はうんざりしているのかもしれません。
物質的に豊かな国はどこも状況は同じでしょう。
だからこそ、片付け術が世界的に注目されたりするのかなと思います。

ところで、私はいまだにガラケーを使っています。
スマホにすると便利そうですが、常にラインを気にしていなければならないというのも何だか気が進まず買い換えていません。
今、平均的な高校生はラインやツイッターに毎日2時間位費やしていると何かの調査に出ていました。
家に帰ってまで、友達と話さなくてもいいんじゃないかとおじさん的には思えますが、実は彼ら彼女ら自身も面倒だけど無視してると思われるのが嫌だから返事を返すという事情もあるようです。
便利なスマホですが、断捨離の思いで自分なりにある程度線を引いて使わないと、人生の大切な時間を意味もなく吸い取られていってしまうように思います。

村上春樹と片付け術がなんで肩を並べているのか? から色々調べ、考えてみましたが、結局たかが片付け術どころではなく、現代社会で物心両面の片付け・整理がいかに大切なことか認識を新たにした次第です。
「片づけコンサルタント」の近藤麻理恵さん、ありがとうございました。
住職記

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