本来の面目

 本来の面目とは、禅宗でよく使われる言葉で、自分の本当の姿、本当の心というような意味

 今年春、桜が咲く頃から寺の近くで啄木(きつつき)が樹をたたく音が聞こえるようになりました。
最初は、カエルかな?と思ったりしたのですが、季節が違うので何の音か分からなかったのですが、法事に来た檀家さんの一人が目ざとく見つけてくださって、啄木の音だと判明しました。
見つけて下さった方の指さす所を見ると、雀の倍くらいの大きさの鳥がくちばしでさかんに桜の木を叩いていました。
境内で保育園をしているのですが、保育士の先生はお寺で木魚を叩いているのかと思っていましたとのこと。
まさか、山の中でもないのに啄木がいるとは思いもしなかったのでちょっとびっくりでした。
境内の桜の木のほぼ毎回同じ所を叩いているので、日曜の午後、暇な時にしばらくその様子を眺めていたのですが、ふと思ったのは、よくあれだけ頭(くちばし)で樹を叩き続けて脳震盪を起こさないなという、ある意味くだらないことでした。
でも、人間だったら2,3回同じ衝撃を頭に受けただけで確実にダウンしてしまうと思います。
生き物はそれぞれ、その生き方に応じてうまく体が出来ているのだなと改めて感じた次第です。
因みに、今回寺に来ていた啄木はコゲラという種類のようで、街中でもそれなりに樹がある所なら来ることがあるようです。
今回来訪したコゲラ、桜の花が散る頃いつの間にか音が聞こえなくなりどこかへ行ってしまったのですが、ここ数日また、聞き慣れたあの木を叩く音が聞こえていました。
コゲラにはコゲラの都合があるのでしょう。
啄木が木を叩くのは、樹の中の虫を取るためや、自分の存在をアピールするためだそうです。

啄木は脳震盪を起こさずに木を叩き、人は精神的にショックを受けただけで気を失うこともある。
人は複雑な生き物です。
知性があるが故、様々なことを考え、そしてそれ故悩みも生まれます。
坐禅が生まれたのはその悩みを解消し、安らぎの心を得るため。
啄木は本能に導かれて木を叩き、人は安らぎを得るために坐禅をする。
啄木が木を叩くのも本来の面目であり、人が坐禅をするのも本来の面目です。
それぞれがそれぞれに、それぞれの生きる道を生きている。
全てが本来の面目であり、本来の面目でないものなどどこにもありません。
本来の面目は、探すまでもなく、ただ今の自分そのままで本来の面目です。
そんな気持ちで、静かに坐禅をして頂けたらと思います。
住職記

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