月が二つある-両箇の月

 「おまえは月が二つあることを知っているか?」
月夜の晩、傍らにいた弟子の峨山(がさん)に瑩山禅師(けいざんぜんじ)が不意に声をかけます。
峨山はその問いに答えることが出来ません。
「それでは、私の仏法は継げないな」と言って瑩山禅師はその場を去ります。
峨山は、二つの月の問いに答えるべく厳しい修行を重ねます。
そんなある日のこと、峨山がやはり月夜の下で静かに坐禅をしていた時、瑩山禅師が近くに来て指をパチンと鳴らしました。
この時、峨山は二つの月の問いを通して大きな悟りを得た。と伝えられています。

 これが、両箇の月(りょうこのつき)と呼ばれる大本山総持寺開祖瑩山禅師から二世峨山禅師へ出された有名な問いです。
「両箇の月」は公案と呼ばれる禅の大切な問題であり、各修行者がそれぞれ自分なりの答を見つけるべきもので、これが答ですというような解答は本来ありません。
ただ、有名なお話しですので、全く説明しないという訳にも行きません。
ですので一般的には−−
ここで言われる月とは仏あるいは仏心を表し、その月を見る我々自身にもその月=仏が映り込んでいる(宿っている)。ゆえに瑩山禅師が月が二つあると言われたのは、天空の月(仏)と同じようにお前も月(仏)なのだと言うことを弟子の峨山に悟らせるためである。
−−というような説明が為されています。
話として自然であり、第三者である私達はひとまずそのような意味として受け取って良いのでしょう。
ただ、瑩山禅師と峨山禅師の「両箇の月」を巡るやりとりはその場その時でなければ成立しない師と弟子とのやり取りであり、言葉では説明できない生のダイナミックな心の動きこそが峨山禅師の大きな悟りに繋がった筈です。
ですので、言葉による解説はあくまでも「言葉」の範囲内のものでしかないということになるように思います。

いずれにしろ、この「両箇の月」の問いを通して大悟した峨山禅師は瑩山禅師の跡を継いで大本山総持寺二世となり、その後の曹洞宗発展の為に大いに力を発揮されました。
現在の曹洞宗は全国1万5千の寺院を擁する大教団ですが、道元禅師によって創始された後、この瑩山禅師と峨山禅師という二人の禅師によって更なる発展の基礎が造られて今に至っています。
今年は、この峨山禅師の650回忌の年。
大本山総持寺はじめ全国の曹洞宗寺院で様々な報恩法要・記念行事が行われました。
自らの辿ってきた道を振り返り、更に今後どうあるべきかを考えるということは、個人にとってだけでなく、大きな組織にとっても大切なことだと思います。
まずは自分自身、脚下を照顧して丁寧に進んで参りたいと思っています。
住職記

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