人身得ること難し

 去年に続き、今年も小学生の娘が学校でもらってきた鮭の卵を孵して育てています。
去年より娘もサケのことが気になるようで、たまに学校帰りに覗いてはずいぶん大きくなったねとコメントしていきます。
コメントだけで、サケの世話をしているのは基本的に私。
毎日水を替えて、餌を朝と夕方二回与えます。
今年は十一個の卵を貰ってきて九個孵り、九匹のサケを育てているのですが、九匹の中にも個体差があり、大きいのや小さいの、すばしこいのや色々です。
中にひときわ小さいのが一匹いて最初の頃はなかなか餌を食べないので気になっていたのですが、二月になってから水面にまいた餌を大きいのに混じってパクッと食べるようになりほっとしています。
このサケたちは、三月初めに近くの川へ放流します。サケはその後川を下り、海へ行き、六〜七月頃他のサケの仲間たちとともに北の海へ旅立つそうです。
そして四年後、生まれた(放流された)川へ戻って来て産卵し、その一生を終えるとのこと。
何も教わらずに広い海の中でよく自分の行き先がわかるものだと感心します。
そして、四年後(中には三年後だったり、五年後だったりするサケもいるようです)自分の放流された川へ帰ってくるのですが、今育てているサケのあんな小さな体のどこにそんな仕組みが隠されているのか全く不思議です。
まさに自然の摂理としか言い様がありません。
科学的には川の水のかすかな成分の違いを感知して帰ってくるのだろうと考えられているようですが、あくまで「だろう」であり、その仕組みは解明されていません。
そろそろ火星に行くことが出来るかもしれない人類の科学ですが、小さな魚一匹の体の仕組みさえ解明できていないのです。
人智の至らなさと、自然の深遠さを痛感します。

さて、この「自然」の偉大さ深遠さを感じ取ることが出来るのは「自然」が作り出した生命の中で人類のみです。
自意識を持ち、考えることが出来、自然を調べ自らの力で環境を変えていくことができる、この唯一無二の力を自然から与えられているのは人類=人間のみです。
私たちは、その人間として生を受け、今この時を生きています。
地球上の生命として生まれるにあたり、人間として生まれてくる確率はどの位なのでしょうか?
人間の総数は約七十億人。
対してその他の生き物の総数は、海の中の生き物、地上の生き物、小さな昆虫や微生物まで入れると…ちなみに、土壌1グラムの中には、微生物が約一兆いるそうです。
地球全体の生命の総数を考えると気が遠くなります。
生命が人間として生まれてくる確率は、考えるのが嫌になるほど途方もなく、誠に途方もなく小さいということです。

道元禅師は「人身得ること難し、仏法値うこと希れなり」と言っておられます。
人として生まれて来ることも、仏の道に会うことも、誠にまれであるということ。
私達はつい、日常に埋没して日々を送ってしまいがちですが、改めて人として生きていられるということの貴重さ有り難さに思いを致さなければと思います。
住職記

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