諸人よ、ここに道あり

 諸人(もろびと)よ ここに道あり
 心は風にさわげども
 しばし静かに坐るなり

 私が子供の頃、当寺の玄関に張ってあったポスターの言葉です。
優しそうな観音様のお顔とともにこの言葉が書いてありました。
言葉の意味は良くは分からなかったのですが、そのポスターをながめると、なんとなくホッとするというか、今風に言うと癒やされるような気がしたのを覚えています。
おそらく当時お寺に来られて、同じように感じた方も多かったのではと思います。
今、時が経ち、当時子供であった私が住職をしています。
なんとなく頭の片隅に残っているあのポスターを思い出しながら思うことは、やはりお寺というところは安らげる所でなければならないなということ。
お寺に来てお参りをすると、心が安まる、あるいは癒やされる。亡くなってから安らげるだけでなく、今生きている人達が安らげる。そんな場所でありたいなということ。
現代社会は情報化社会です。携帯電話、GPS、メール、ライン、ツイッターetc どこにいても社会のネットワークから逃れることは出来ません。
 しかし、お寺あるいは神社といった場所は、町の中にあってもそこだけは何かしら特別な場所、現実よりももっと大きな世界、現実を包み込むもっと大きな世界…仏の世界や神の世界に通じている場所です。
人は、そんな大きな世界の存在を体で感じることで心が癒やされ、安らげるのだと思います。
疲れる社会であればあるほど、寺や神社の存在は社会にとって大切なものなのではと感じています。

 昨年の春、コゲラという種類のキツツキが当寺の境内にやってきて、木魚の音になんとなく似た音が時折聞こえていました。
そして、この春もまたやって来たようで、先月何度か姿を見、去年と同じように樹をつついていました。
その樹をつつく音は間延びした木魚のような音、少し緩い感じでホッとします。
コゲラが居ても居なくても、ホッと出来るところ、そんな寺でありたいなと思っています。
住職記

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