悉有仏性

 悉有仏性(しつうぶっしょう)という語は、一切衆生悉有仏性という涅槃経に出てくる有名な言葉の後ろ半分です。
一切衆生という言葉を取ってしまっても意味は同じです。
悉有仏性、つまり悉く(すべてに)仏性が有るということ。

道元禅師の残された歌に、
――峰の色 谷の響も皆ながら 吾が釈迦牟尼の 声と姿と――
というものがあります。
自然の姿、自然そのものの中に釈迦牟尼つまり仏の姿を見る。と言う意味。
悉有仏性という言葉の意味は、この歌に端的に表されています。

春から夏へと向かうこの季節、緑は日に日に濃くなり、花々は元気よく様々な色で鮮やかに野を彩ります。
鳥や虫や多くの生き物も活発に動き出します。
ところで、花になぜあれほど様々な色や形があるのでしょう?
それは、子孫を残すために必要だから。
花の色は、花粉を運んでくれる虫たちへのアピールです。
ここに来ると蜜があるよと色で誘っているのです。
花の形は、他の花とこっちは違うよという違いのアピール。
そして、形によって特定の虫(例えば蝶)にしか蜜が採れないようになっている花もあるそう。
花粉を自分と同じ種類の花に確実に届けてくれる虫だけに蜜を与えることにより、他の虫に花粉や蜜を取られることがなくなり、子孫を残せる確率が高くなると言うわけ。花の生存戦略です。
意味もなく、あれほどカラフルに様々な形に花は咲いているわけではないのです。
全ては自然の絶妙な力のなせる技です。
自然の大きな力によって、花も生かされ、虫も生かされ、動物も生かされ、人も生かされています。
その大きな力に感謝し、同じく生きる花や虫や動物に、同じ命を生きるものとして共感する――そこに仏の世界が、悉有仏性の世界が立ち現れて来るのではと思っています。
住職記

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