無常

 最近の夏は、地球温暖化の影響なのか毎年毎年暑くなっているようですが、どうも今年は例外だったようで、七月が空梅雨で暑い日が何日か有りましたが、八月になってまた梅雨が戻って来たような感じで雨模様の日が続き”猛暑”という言葉をあまり使わずに夏が終わってしまいました。
温暖化といっても地域により年によりばらつきがあるということなのでしょう。
上かと思えば下、あっちかと思えばこっち…株価や為替と同じで世の中結局のところ先のことは分かりません。
人工知能が発達し、囲碁や将棋の世界ではもう人間は機械に勝てなくなってきています。
天気予報はスーパーコンピュータの性能の向上とともに次第に予測精度が上がってきています。
病気の診断も最近は人間より人工知能の方が正確だったりするそうです。
しかし、どんなに技術が進んだとしても、たった1秒後の世界でも完全に正確に知ることは出来ないというのが現在の科学の知見です。
非常に小さな極微の世界では、物事の現在の状態と成り行きは確率でしか予測することが出来ないのだそうで、これはつまり”先のことは分からない”ということ。
ゆえにどんなにコンピュータや人工知能が発達しても未来を予知することは原理的に出来ないということになります。
これは二千数百年前から仏教が説いている”無常”を科学が証明していると言ってもいいのではないでしょうか。
未来が予知可能であれば無常でも何でもありません。
分かっているスケジュールどおりに進んでいく人生に無常感が生まれる余地はありません。
結局どうあがいたところで人生は思い通りにならない、予測外のことが起こる、だから無常なのであり、この無常と対峙する中で仏教は生まれてきたとも言えます。

今回取り上げた道元禅師の和歌
「世の中は 何にたとへん水鳥の はしふる露にやどる月影」
の題は「無常」です。
意味は、
「世の中を何にたとえたら良いのか 水鳥がさっと振るくちばしに付いている一粒の露に映り込んでいる月の姿のようなものか」
ということ。
世の中がいかに儚いものかを鋭く透明感をもって感じさせてくれます。

今日あるように明日があると、なんとなく私達は思っていますが、それは単なる思い込み。
未来は未定です。
嫌なことが起こるかもしれないし、良いことがあるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。
この”無常”ということ。日常に満足している人にとっては「ご用心ご用心」という警句になるわけですが、そうでない人、つまり今の日常に満足していない人、なんとか変えたいと思っている人にとってはある意味応援メッセージでもあります。
未来は決まっていないがゆえ、「頑張れば変えることも出来るかも」「良いことがあるかも」というプラスの意味も”無常”という言葉にはあります。

今年は秋の訪れが早いようです。
無常という言葉の意味の二面性を思いながら、秋の空に浮かぶ月を眺めてみてはいかがでしょうか。
月の光のように、澄んだ心に少しなれるかもしれません。
住職記

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