成道会と開戦記念日

 12月8日は仏教徒にとって大切な日。 お釈迦様がお悟りを開かれた日です。
この日は、宗派を問わず成道会(じょうどうえ)という行事を行いお釈迦様のお悟りをお祝いします。
当山の境内で運営している保育園では、子ども達にお釈迦様のお悟りが描かれた紙芝居を見せてお釈迦様のお悟りについてお話しをしています。

 さて、この12月8日はもう一つ別の意味で日本人にとって忘れられない日です。
12月8日は、真珠湾攻撃による太平洋戦争開戦の日でもあります。
日本人の心の基盤の一部となっている仏教の記念日と、日本人の心の傷となっている太平洋戦争の開戦記念日とが同じ日なのは歴史の皮肉のようにも感じます。
お釈迦様はお悟りを開かれ、生涯をかけて人の世の苦しみから抜け出る道を説かれました。
その教えの中の仏教徒として守るべき戒めの第一番目が「殺すなかれ」です。
戦争は、つまるところ殺し合いです。
人類は、文明の発祥から、あるいはそれ以前から様々な理由で集団での殺し合い「戦争」を続けてきました。
勢力争い、領土の拡張、政治的経済的な理由、宗教の対立、イデオロギーの対立、民族同士の反目etc、現代でも相変わらず同じような理由で戦争は続いています。
人を殺すことは悪いことだ。3才の子どもでも分かることなのに、人類はいつまで経っても「戦争」を止めることが出来ない… 悲しい人類の習性です。
そんな人類の習性がある故か「殺すなかれ」は第一番目の戒めであると同時に、人類全体にとって一番守るのが難しい戒めでもあります。

現代に於いて、個人対個人で個人的に殺し合いをするということは殆どないと思います。
しかし、集団対集団あるいは国家対国家の争い=戦争という状況になると、今でも容易に人は人を殺し(せ)てしまいます。正義や大義があればなおさらです。
これは責任の所在が自分たちに無いからこそ出来ることです。兵士が敵を殺しても殺人罪には問われません。
いずれにせよ戦争があれば人が死にます。
その死は苦しみを伴い、周囲に悲しみを生み出します。
これは、今も昔も変わらない真実です。

私の母方の祖父は太平洋戦争で戦死しました。
幼い頃母から、祖母が京都の舞鶴まで復員船を迎えに行って、同じ隊だった方から祖父の戦死を告げられ落胆して帰ってきた時の話をよく聞かされました。
祖母はさぞ辛かっただろうなと思います。どんな気持ちで帰りの汽車に揺られてきたのか。祖母はその後女手一つで私の母を含む三人の娘を育てました。
当時はそんな大切な家族を失った人が日本中に大勢いました。
その人々の悲しみの総量は、どれほど大きなものだったでしょう。
日本だけではありません、戦った相手側でも沢山の方が戦死し、その死によって更に多くの悲しみと苦しみがあったはずです。

お釈迦様の「殺すなかれ」は、殺される相手の苦しみと悲しみを思いなさいという 慈悲=思いやりの心 が根底にあると思います。
戦争を云々するとき、戦争によって生まれる苦しみと悲しみにこそ思いを致すべきだと思います。

人類にとって戦争をすることは持って生まれた習性なのかもしれません。
しかし、この「殺すなかれ」のように戦いを抑止する智慧も人類は持っています。
戦争を無くすことは出来なくとも、少なくしていくことは出来るはずです。
今、日本では北朝鮮の問題、憲法改正の問題、海外における自衛隊の活動範囲の問題など、戦争について現実的に考えざるを得ない機会が多くなっています。
私達日本人は、太平洋戦争の経験を踏まえ、戦いによって生まれる死者の苦しみと周囲の者の悲しみを忘れてはならないと思います。
12月8日は、日本人にとって、戦争を起こす心とそれを抑止しようとする心の葛藤を象徴する日と捉えても良いのかもしれません。
住職記

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