願わくは花の下にて春死なん

  願わくは 花の下にて 春死なん その如月の望月のころ
  西行法師

 ひらひらと花びらが舞い散る満開の桜の下に行くと思い出す歌です。
詠んだのは平安時代の歌人西行(さいぎょう)法師。
年度の変わり目で仕事も色々あって忙しい中、ふと見上げると薄紅色の花びらが目にしみる満開の桜、穏やかな春の風にのって舞い散る花に囲まれていると、死ぬのならこの中で死にたいという気持ちは良く分かる気がします。
ところで、句の後半が”その如月の望月の頃”となっています。
如月(きさらぎ)とは二月、望月(もちづき)とは満月のことですので、昔使われていた陰暦で二月十五日。今の暦では三月の後半にあたるようです。
そしてこの二月十五日はお釈迦様の亡くなられた日。
素晴らしい花に囲まれて、出家の身であればこそ、お釈迦様の亡くなられた日の頃に自分も死にたい。
出家として自然な感情であるように思います。
西行法師が凄いのは、実際にこの歌のとおりに二月十五日を一日過ぎた二月十六日に亡くなっていることです。
念ずれば通ず。と言いますが、西行法師言行一致であっぱれだなと思います。

さて、お釈迦様の亡くなられた二月十五日は涅槃会(ねはんえ)と言って日本のお寺では宗派を問わずに供養の法会が行われています。
旧暦ですと今の三月後半で西行法師の歌のとおりに桜の咲く頃なのですが、現在の暦では冬のまだ寒さが厳しい季節となってしまっています。
多くの人に来て頂いてお詣りして頂くには寒い二月より暖かい三月の方がいいのかもしれません。
三月の後半にはお彼岸がありますので、お彼岸に合わせて涅槃会を行えば、今より多くの人に来てお詣り頂けるのかななどとふと思いました。

西行法師は漂泊の歌人、旅に生きた人でした。
旅の中での感興が様々な歌に詠まれています。
考えてみると人生も旅のようなもの。
出会いと別れの連続です。
今の日本では桜の季節は別れと出会いの季節になっています。
美しく咲く桜のもと、別れる人々を大切に心にしまい、新たな出会いに気持ちを切り替えてまいりましょう。
住職記

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