コロナウイルス安居

 3月の初めくらいには、多分そのうち収まるのだろうと思っていたこの新型コロナウイルスの流行。いつまにか世界中に広まってしまい、いつ収まるか分からない大変な状況になってしまっています。
ウイルスの蔓延を防ぐには、現在のところ、人と人との接触を極力減らすしか方策がなく、世界中で『ステイホーム』”外に出るな、家にいろ”と叫ばれ、今日本も緊急事態宣言が出されて学校が休みになり娯楽施設が休業し、仕事は在宅勤務、不要不急の外出を控えるように通知が出されています。
仕事も家、休みの日も家、ここ群馬では5月初めに始まるはずだった小学校や中学校なども五月末までお休みが延びてしまいました。
みんながずーっと家にいる。
ふと、これは仏教の伝統である安居(あんご)に似ているなと思いました。
安居とは、お釈迦様在世の頃から行われていた雨期の修行で、雨期に出てくる虫や生き物たちを踏みつぶして殺してしまわぬよう出歩かずに一つの場所にとどまり修行をした雨安居というものが原型です。
現在の日本の禅宗の修行道場では夏と冬の年二回お寺から外出禁止の安居修行をしています。期間はそれぞれ三ヶ月です。
三ヶ月間同じ場所で、同じ顔ぶれとともに掃除をし、経を読み、坐禅をして修行をします。
禅宗の根本である坐禅とは、つまり一つの場所に動かずに座り続けると言うこと。
安居という修行形態も一つの場所から動かないという意味で同じ精神がそこに感じられます。
普通の生活の感覚では、一つの場所にずーっといたら退屈してしまい、飽きてしまって仕方が無いと思われますが、禅ではそれを自覚的に行い修行としています。
安居の生活では、まず周囲の環境が変わりませんので自然と自分自身と向き合う時間が多くなります。
また、閉じた生活の中で自分の周りの人々とのやりとりも密になります。
つまり、自分と、ごく身近な他人と、それぞれ正面から向き合うと言うこと。
これは普段出来そうで出来ないことです。
おそらく、生きて行くと言うことの真実がこの中にあります。
巨大な災厄をもたらした新コロナウイルス。
外出せず、ずーっと家にいるというのは確かに息がつまるかも知れません。
しかし、必要な買い物くらいは出来るし、健康管理に必要な散歩は出来ます。
人が大勢いないところでなら運動するのも問題ないでしょう。
家で何をするのも自由です。
なにより、この忙しい今の社会の生活の中でこれだけまとまった時間というのはなかなか得られるものではありません。
思わず降って湧いたまとまった時間、家族全員で普段出来ない家の掃除をしたり、読もうと思って部屋の隅でほこりをかぶっていた本を読んだり、子供と一緒に料理を作ったり、工夫してこの希有な時間を無駄にしないように過ごせたらと思います。
そして、この希有な時間の反対側に、この新コロナウイルスと昼夜を分かたず戦い続けている医療関係者の方々がいます。
まさに命がけで私達のために戦ってくれている彼ら彼女らの時間と表と裏の関係で今の私達のこの家での時間があります。
新コロナウイルスと戦っている医療関係者の方々に心から感謝しつつ、この特別に与えられた時間を大切にしたいと思います。
住職記

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