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令和二年

十二月
慧可断臂
 慧可断臂(えかだんぴ)
 禅宗の始祖は達磨大師、その法を継いで二祖となったのが慧可大師。
慧可は達磨に入門する際に自らの左腕を臂(ひじ)から切り落としてその決意を示したと伝えられています。
禅宗の修行道場で十二月九日夜に行われる断臂報恩摂心(だんぴほうおんせっしん:徹夜の坐禅)はこの故事にちなんだものです。
住職合掌
”慧可断臂” のお話し

十一月
災難に逢う時節には
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」
江戸時代の名僧良寛さんの言葉
”災難に逢う時節には” のお話し

十月
行持
人に何かをして頂いた時に、ありがとう。
食事の時に、いただきますとごちそうさま。
なすべき事をきちんと行い続けていくことを禅の言葉で行持(ぎょうじ)と言います。
住職合掌
”行持” のお話し

九月
悟りという事は
『余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。
 悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった。』
正岡子規《病牀六尺》より
”悟りという事は” のお話し

八月
つながり
お盆は、自分とつながりのある亡くなられた方へのお参りをする季節。
人間という字は人の間と書きます。人は、人とのつながりがあってこそ人。
 どうぞ、つながりを大切に。
住職合掌
”つながり” のお話し

七月
布施といふは不貪なり
「布施といふは不貪なり。不貪といふは、むさぼらざるなり。むさぼらずといふは、よのなかにいふへつらはざるなり。」
「正法眼蔵菩提薩埵四摂法」より
”布施といふは不貪なり” のお話し

六月
風性常住
 ある寺の和尚が扇を使っていると、僧が来て尋ねた。
僧:「風性常住、風が到らぬ所はないと聞くが、和尚なぜ扇を使う?」
和尚:「おまえは、風が到らぬ所はないということを分かっていない。」
僧:「では、風が到らぬ所はないとはどういうことか?」
和尚、ただ扇を使うのみ。
僧、礼拝す。
「正法眼蔵現成公案」より引用意訳
”風性常住” のお話し

五月
安居
 安居(あんご)とは、修行僧が一つの場所にとどまり、出歩かずに修行に専念することを言います。
 今、世界中がコロナウイルスのおかげで心ならずも安居の状態。
 不本意であっても、嫌々過ごすのでは時間の無駄。じたばたせず、普段出来ない家の掃除や整理をして、静かに自分を見つめてみましょう。
住職合掌
”コロナウイルス安居” のお話し

四月
ゆさゆさと
大枝ゆるる桜かな
村上鬼城
”ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな” のお話し

三月
脚下照顧
 脚下照顧(きゃっかしょうこ)とは、自分の足下を見よということ。
 さらには、周りのことに気を取られていないで、まず自分の置かれている現在の状況をよく見極めなさいという禅の言葉。
住職合掌
”脚下照顧” のお話し

二月
四弘誓願
 衆生無辺誓願度…無辺(無限)の衆生を全て救う
 煩悩無尽誓願断…無尽の煩悩を全て断つ
 法門無量誓願学…無量の教えを全て学ぶ
 仏道無上誓願成…無上の仏道を成ずる
以上が四弘誓願(シグセイガン)という仏教徒が心に持つべき菩薩の四つの願い。
どこまでも仏の道を歩んで行くという誓いの言葉です。
住職合掌
”四弘誓願” のお話し

一月
すなわち正身端坐して、左に側ち右に傾き、前に躬り後に仰ぐことを得ざれ
 注)
 正身端坐(ショウシンタンザ)=身を正して坐ること
 側(ソバダ)ち=傾き
 躬(クグマ)り=丸くなり

これは、道元禅師が書かれた坐禅をする際の心得の一節。
左右前後に体をぶらさず、まっすぐが大切ということ。
坐禅に限らず、人生の指針にもなる言葉です。
住職合掌
”すなわち正身端坐して” のお話し


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