悟りという事は

 正岡子規というと、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句が有名な、明治期の俳句や短歌の世界に変革をもたらした文人です。
34才で結核で亡くなっています。
現在は予防接種や抗生物質のおかげで命を落とすことは少なくなっていますが、かつて結核は死病と恐れられた大変怖い病気でした。
子規はこの結核を患い、菌が脊椎に入る脊椎カリエスという状態になり、のたうちまわるような痛みの中で多くの俳句や短歌を作り、また「病牀六尺」などの文章を遺してこの世を去りました。
「病牀六尺」というのは自らの寝ている布団の大きさであり、その布団の大きさしか行動範囲のない晩年の病牀での生活をつづった文章の題名です。
その「病牀六尺」の中に今月引用した以下の言葉が出て参ります。

『余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。
悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった。』

恐らく病牀の耐えがたい苦しみの中で、死んだ方が楽だろうなと何度も思う中で感じたことなのではないでしょうか。
痛みに耐えかね、あるいは人生を悲観して死を選んでしまう人もいます。
でも死を選ばず、苦痛に耐えながら自分の生きている現実と向き合い続けた。
季節につれて変わってゆく庭の景色、その日食べた食べ物のこと、人から聞いた話題についての自分の考えなどなど、誠に日常の小さな事から世の中の大きな事まで、よくも寝たきりの状態でそこまで見て、聞いて、考えて、書くことが出来たなと思います。
子規という人は非常に生命力に溢れたエネルギッシュな人だったのでしょう。

人生はいつか終わります。それは誰にとっても同じ。
いつか終わるということは、逆に言うと今生きているということ。
死が身近であればあるほど、今生きているという現実が切実に大切に感じられるのではと思います。
遠からぬ先に死が待っている状態であったからこそ、子規が病牀で作った俳句や短歌はより生き生きとしたものになったのかもしれません。
子規が言う、”悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事”というのは、死を隣に見ながら苦痛とともに生きてきた子規の目には、この世の中があたかも険しい山道を登り切って下界を振り返った時のように何か清々しく感じられるというような自身の心情を背景にした部分があるように思います。
苦と楽にまみれながら苦と楽を見透す鍛え抜かれた精神を悟りと言うのでしょう。

さて、この夏は大変な猛暑。
9月になってもまだまだこの暑さは続くようです。
汗が目に入って現実がぼやけてしまうほどの暑さですが、くじけず、子規だったらこの暑さをどういう風に俳句にしただろうなと考えつつ、日々を大切に過ごして参りたいと思います。
今月19日は子規の命日で糸瓜(へちま)忌と言われています。
糸瓜忌と言われる所以となった絶筆の句は以下のとおり。
 『糸瓜咲て痰のつまりし仏かな』

住職合掌

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