自灯明 法灯明

  自らを灯明となし、
  自らをよりどころとして、
  他人をよりどころとせず、
  法を灯明となし、
  法をよりどころとして、
  他をよりどころとせず、すすめよ

 ひとくちに、自灯明・法灯明(じとうみょう・ほうとうみょう)といわれるこの言葉は、お釈迦様の最後の言葉として大変有名です。
他におもねるな。
人生の主催者は自分自身である。
自分の頭で考え、自分の足で歩き
仏の教えを指針として歩んでいけ。
そんな意味でしょうか。
実存主義的な香りもする大変厳しい言葉です。
私は、この厳しい言葉の中に仏教の面目が躍如していると思います。
自己と対峙し、それを乗り越え、やすらぎを得る。
法=仏の教え、とはその安らぎにいたるためのノウハウです。
言ってみればパソコンソフトのヒントやヘルプのようなもの。
神の啓示や預言のように絶対のものではありません。
基本的な部分は変わりませんが、ヒントやヘルプですから、世につれ人につれ、様々な教えが説かれます。
多くの教えが説かれる様を、仏教では「八万四千の法門がある」と申します。
八万四千とは比喩であり、つまり仏の教えは世に合わせ、人に合わせ、いくらでも姿を変えて様々に説かれる。ということ。
神=絶対者を必要としない、人間の宗教がここにあります。
今世界は、宗教を原因とした争いや行き違いが絶えません。
人々の苦しみや悩みを、絶対者の介在を必要とせず直接に除こうとする仏教。
様々な価値観が交錯する価値観のるつぼのような現代社会の中にあって、仏教のこの基本構造のシンプルさは非常に有用なのではと思います。
どちらかというと、布教という点において、おとなしい面のある仏教ですが、この世の中に少しでも多くの幸せをもたらすため、これからはもっともっと世界の中で大きく行動するべきではないかと思っています。
住職合掌

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