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平成十九年

十二月 坐る
 二千数百年前の今月八日、お釈迦様は長く厳しい苦行の後、菩提樹の下で静かに坐禅を組み、人の世の苦しみから抜け出る道をお悟りになったと伝えられています。
 静かに坐っていると、揺れ動く心が次第に静まり、落ち着き、これまで見えていなかったことが見えてきます。
 師走は何かと忙しい季節。 そんな中でも過ぎゆく一年を振り返り、静かに自己を点検する時間を持ちたいものです。
住職合掌 
”坐禅” のお話し

十一月 利行は一法なり
「愚人思わくは、利他を先とせば、自らが利はぶかれぬべしと。
しかにはあらざるなり。
利行は一法なり。
あまねく自他を利するなり。」
「修証義」より 
”利行は一法なり” のお話し

十月 我慢を除くべし
 「仏性を見んと欲せば、まずすべからく我慢を除くべし」
 これは古くから伝わる仏教の言葉。
「我慢」とは、仏教の言葉で、本来は忍耐ではなく驕りや慢心を意味しています。
驕りや慢心は人の心を曇らせる元凶。
我慢を除く…難しいことですが、仏の道はここから始まります。
住職合掌 
”我慢” のお話し

九月 千の風
 人は死に、地に帰り、水となり、火となり、風となって、空に戻ります。
 空を行く雲。
 流れゆく水。
 吹き渡る風。
自然の営みの中に、亡き人の存在を感じられたら、とても素晴らしいことです。
 時はそろそろ秋。
心地よい風の中で、静かに自然の営みに心を向けてみましょう。
住職合掌 
”千の風” のお話し

八月 いただきます
ごちそうさま
 私達の命は毎日食べている食べ物に支えられています。
今の日本の生活ではつい忘れがちですが、食べ物への感謝の気持ちはやはり大切。
「いただきます」と「ごちそうさまでした」という食事の際の言葉、どうぞお忘れなく。
住職合掌 
”いただきます、ごちそうさま” のお話し

七月 合掌の功徳
 人が手を合わせる姿は美しいもの。
今でも南アジアの仏教国では、日常の挨拶の際、誰でも自然に合掌をいたします。
手を合わせることは、心を合わせること。
きれいな合掌は、きれいな心を作り出します。
仏様にお参りする時、食事の時、ピンと指をのばし、きれいな合掌を致しましょう。
住職合掌 
”合掌の功徳” のお話し

六月 思いやり
 六月は梅雨。
むかし、インドの修行僧は雨季には外に出ず、屋内にこもって修行をしたそうです。
そこには、雨につられて出てくる虫達を不用意に踏み潰してしまわないようにという配慮がありました。
人知れず踏み潰されて消えてゆく小さき命への共感。
 思いやりの心の原点です。
住職合掌 
”思いやり” のお話し

五月 仏様ってなに?
 亡くなった人が仏さま?
お釈迦様のこと?
お地蔵様は?
どれも正解、みんなみんな仏さまです。
生きている私達だって仏さまです。
私達の心の中に仏さまはいます。
仏さまの心は優しい心。
いつも周りの人達の事を考えてあげられる心。
 心の中の仏さまを大切にいたしましょう。

住職合掌 
”仏さま” のお話し

四月

春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえて涼しかりけり
道元禅師和歌「本来の面目」 
”春は花” のお話し

三月 放下著
 あれも欲しい、これも欲しい。
煩悩の固まりが人間です。
そんな欲望やこだわりを『捨ててしまえ』というのがこの放下著(ほうげじゃく)という言葉。
 こだわりを思い切って捨ててしまうと気持ちは大変すっきり、ダイエットに成功したように楽になります。
住職合掌 
”放下著” のお話し

二月 自灯明 法灯明
自灯明 法灯明−読み方は、じとうみょう ほうとうみょう。
二月十五日はお釈迦様のご命日。

 自らを灯明となし、
 自らをよりどころとして、
 他人をよりどころとせず、
 法を灯明となし、
 法をよりどころとして、
 他をよりどころとせず、すすめよ

これは、お釈迦様が自らの死を前にして、弟子達に話された言葉です。
住職合掌 
”自灯明、法灯明” のお話し

一月 中道

 明けましておめでとうございます。

 今月の言葉は「中道」(ちゅうどう)。
「中道」とは、真ん中の道ということ。
驕らず、あせらず、常に現実を見つめる、片寄りのない心の姿をいいます。

 片寄りのないまっすぐな心こそ、煩悩の世界にあって、煩悩に振り回されない安らぎへの道です。

 まっすぐな心はまっすぐな姿勢から。
年頭にあたり、まずは背筋をピンと伸ばし、姿勢を正して、新しい一年を始めてまいりましょう。
住職合掌 
”中道” のお話し


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