春は花、本来の面目

 日本の四季は美しいものです。
この四季の移り変わりを愛で、四季それぞれの美しさを詠んだのが、この「本来の面目」と題された道元禅師の歌です。
禅は”今生きているこの時”を見つめます。
昨日でもなく、明日でもなく、今自分が生きている刻々と移りゆく”今この時”。
移ろいゆく時間と、そして周りの世界。
これらと自分を対峙させる。
この対峙が禅です。

時は流れゆきます。
周りの世界も時と共に移ろいゆく。
そして、そこに生きている自分。
じっと見つめ、捉まえようとしても、時はするすると逃げていってしまいます。
禅師様だったでしょうか、”今(いま)”について、”ま”と言った時”い”はすでに無し。
と言っておられましたが、まさにそのとおりだと思います。
時の流れを捉まえることはできません。
一瞬たりとも時の流れの止まることはない。
ではどうするのか?
捉まえられない時の流れを、どうとらえたらいいのか?

実は、捉まえる必要はないのです。
捉まえなくても、私達は元々時の流れの中に生きているのですから。
周りの世界も同じ。
自分と周りの世界が別々にあるのではありません。
世界の一部が自分なのです。
自他一如ということ。

 春は花
 夏ほととぎす
 秋は月
 冬雪さえて
 涼しかりけり

春は花と共に
夏はほととぎすと共に
秋は月と共に
冬は雪と共に
観る者と、観られるものが一体となった透き通った世界がここにあります。
禅は最終的に対峙から自他一如の世界に通じています。

時は春。
桜の季節です。
まずは咲き誇る桜の美しさと、一体となってみたいものです。
住職合掌

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