合掌の功徳
時々、タイやミャンマーの人々の姿がテレビに出ることがあります。
仏教国である彼の地の人々は、僧侶だけでなく一般の人達もみな合掌をして日常の挨拶をします。
テレビを通して見ていても、非常に気持ちよく、すがすがしい感じを受けます。
何故こんなにすがすがしく感じるのでしょう?
多分それは、手を合わせる姿が、見る人に自然な謙虚さを感じさせるからではないでしょうか。
手という言葉は、古来人間の行動の象徴として使われて来ました。
手を下す。
手を出す。
手を入れる。
手の込んだ。
手を結ぶ etc
人間の行動を表す、様々な”手”を含んだ言葉があります。
人間の行動の象徴である”手”。
その手を合わせるということは、”私はあなたに対して何もいたしません(無抵抗)”という意思表示を感じさせます。
そのあたりから、人は合掌という単純な姿に、従順さや謙虚さを感じるのではないでしょうか。
謙虚という言葉はよく使われます。
しかし、実際に謙虚であることはなかなか難しいこと。
人間は本質的に自分本位の存在です。
気をつけていないと、つい自分のことばかりで他人への配慮が抜け落ちてしまいます。
さらには、無意識的に、いたらない自分のことは棚に上げて、他人に責任を転嫁しようとする。
そんな、人間の我が儘な心=エゴをこの合掌という姿は、両の手のひらの間に押さえ込み、消し去ってくれます。
そして、周りの人々へ素直な心を向けることができる。
素直な心を向けられた人は、やはり自然に素直な心で答えます。
素直さが素直さを呼びます。
合掌が人と人との素直な交流を導いてくれるのです。
これがつまり合掌の功徳。
どうぞ、この手を合わせる=合掌ということ、大切にしていただきたいと思います。
住職合掌
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