利行は一法なり

 曹洞宗には、曹洞宗独自の修証義という経典があります。
このお経は、宗祖である道元禅師の書かれた正法眼蔵という本の中から大切な言葉を抜き出してつくられています。
今回取り上げた、「愚人思わくは〜」という言葉もこの修証義のなかの一節です。

 利行(りぎょう)とは、誰かのためになる行いという意味。
人のために何かをしてあげることは大変気持ちの良いものです。
他の人を利する行い(他の人のためになる行い)は、自らの心をも自然に清らかにしてくれます。
「利行は一法(いっぽう)なり」という言葉は、他を利することは、自を利することに通じる、同じであるという意味です。
人のためにしてあげるのは、自分の為でもあるということ。

人間は一人で生きているのではありません。
「人間」という字のとおり、人は人と人との間で生きています。
一人では生きていけないのが人間です。
生きていくのに他人が必ず必要であるがゆえ、人間は生まれながらに他人の心に共感し、喜びや悲しみを共有する能力が備わっています。
人のために何かしてあげると気持ちが良いのも、そのあたりに理由があるのでしょう。
他人というのはある意味、自分と繋がっている。もっと言えば自分の一部である。という言い方も出来るかも知れません。

この「利行は一法なり」という言葉が指し示す究極には、自他の別を心の中から取り払い、ただ純粋に人のためになることを行う−−他の人の痛みを自分の痛みとして感じ、その痛みを和らげようとする−−そんな心の姿があると思います。

 ここで、子供向けの本などでも有名な良寛さんのエピソードを一つ紹介します。
ある夜、良寛さんの住んでいる庵に泥棒が入った時のこと。
布団の中で寝ていた良寛さんは泥棒に気が付いたのですが、質素に生活している良寛さんの庵にはめぼしい物は何もありません。
良寛さんは、この人もさぞ困って盗みに入ったのだろう、あまり何も盗る物がないのでは可哀想だと、わざわざ寝たふりをしたまま布団から転がり出て、布団を盗らせてやりました…
という童話のような微笑ましい話ですが、これには続きがあり、この話を聞いた良寛さんといつも一緒に遊んでいた子供達が可哀相に思ってあとで布団をプレゼントしてくれたとのこと。
なんとも心が暖まる話です。
良寛さんのこの他人を思いやる心−−ちょっと思いやりすぎのようにも感じますが−−このお陰で、泥棒は布団が盗れ、子供達は寝る布団が無くなって困っていた良寛さんに新しい布団を上げるという気持ちの良い行いが出来、良寛さんは布団が新しくなり、さらに後世の私達はこの話を聞いて心が暖まるという、なんとも素晴らしい良いことずくめの結果となったわけです。
良寛さんは、「利行は一法なり、あまねく自他を利するなり」をまさに地で行っていたわけです。
良寛さんのまねはなかなか出来ませんが、私達も固くなってしまったエゴの殻を破り、はぎ取って、他人の心の痛みに自然に共感出来る人間でいたいものです。
住職合掌

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