坐禅
「忙」という字は、立心偏(りっしんべん)に亡くすと書きます。
つまり、心を亡くすと言うこと。
あまり暇すぎても困りますが、忙しすぎるのもいいことではありません。
たまにはゆっくりと、自分と向き合う時間も大切です。
自分と向き合うのに大切なことは、”何もしない”ということ。
10分間でも結構です。たとえ短い10分間でも、意識して何もしないでいる10分間の中ではゆっくりと時間が流れます。
今の世の中は、昼も夜も休日もなく動き続け、休むひまがありません。
朝も昼も夜もテレビは流れ続け、街に出ればコンビニや24時間営業のお店が至る所にあり、携帯やインターネットでいつでもどこでも誰とでも接続することが出来ます。
この状況では、自分から積極的に「何もしない」でいる時間を作り出さなければ、世の中の流れにどこまでも流されていくばかり。
世の中の流れと共に自分自身もどこかに流れていってしまいます。
静かに身体の動きを止め、腰を落ち着けて坐り、流れ去っていってしまいそうになる自分自身をしっかりと捉まえる時間が必要です。
お釈迦様のように、全てを悟るとまではいかないと思いますが、少なくともそわそわしている自分に、あ、そわそわしているなと気づくくらいの効果はあることと思います。
忙中に閑ありといいますが、現代では閑など待っていても得ることは出来ません。
忙中にただ忙殺されるだけです。
閑はみずから作り出さなければなりません。
時には、日常の雑事を離れ、時を止め、体を止め、しずかに坐ってみては如何でしょうか?
常仙寺では毎週日曜朝、坐禅会を開いております。
ちょっとだけ体験というのでも結構です。
ご参加お待ちしております。
住職合掌
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