掃除の功徳

 先日用事があって訪ねたお家にロボット掃除機のルンバがありました。
ちゃんと障害物をよけて自動で掃除をしてくれて、さらに充電も自分でするのだそうで、随分便利な機械がある物だなと思います。
これでゴミ捨てまで自動でできれば完璧だなと思ったのですが、調べてみたらゴミ捨て機能のあるルンバもあるのだそう。
ロボットやAIの技術はすごい勢いで進んでいるようです。
 さて、掃除というと、汚れるので仕方なくするもの、出来れば人に(或いは機械に)やって貰いたいものという一般的な感覚があるように思いますが、仏教とりわけ当山の宗派である曹洞宗では修行や生活の中で非常に大切なものとされています。
本山などの修行道場に入門するとまず最初にいかに素早く丁寧に綺麗に掃除をするかを仕込まれます。
早く綺麗に掃除をするためには掃除のみに集中しなければなりません。
一心不乱に掃除をしている時、その修行僧は自覚はなくとも掃き掃除や拭き掃除とともに自らの心の塵を払い心を磨いています。
掃除をするという行為は、場所を綺麗にするという行いによって自然に心の中をも綺麗にする行いなのです。
挨拶をきちんとしていると、自然に人との付き合い方がきちんとして来ます。
ありがとうと言う言葉を普段から言っていると、自然に感謝の気持ちが備わってきます。
いただきますとごちそうさまを食事の際に言っていると、自然に食べ物に対して感謝の気持ちが出てきます。
同じように、掃除を日頃からしていると、自然に心の中がスッキリして綺麗になってくるのです。
一度綺麗にしてそれで終わりではありません。
毎日少しずつ汚れてきますので、毎日少しずつ掃除して綺麗にする。
部屋の中も心の中も同じです。
常に自ら掃除をして綺麗にしていると、心の中も同じように綺麗になる。
単純な理屈ですがこの単純な理屈こそ禅の道の基本だと思います。
たかが掃除と馬鹿にしてはいけません。
ルンバは便利ですが、心の掃除まではしてくれません。
機械に任せきりにせず、自らも掃除をして、心の中も掃除して、いつも綺麗な心でいたいものです。
住職記

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