ご馳走さま

 韋駄天(いだてん)という神様をご存じでしょうか?
禅宗の寺院では厨房の近くに祀られていることの多い仏教の守護神です。
大変足の速い神様として知られています。
よく足の速いことを「イダテンのような」と形容しますが、そのイダテンとはこの韋駄天のことです。
この韋駄天がお釈迦様のために諸方を走り回って食べ物を集め食事を提供したと云われており。そのことから走り回るという意味の「馳走(ちそう)」という言葉が食事を提供する事や食事そのものを意味するようになり、転じて「ご馳走さま」という食後の感謝の言葉になったようです。
現在の日本では、食べ物はいつでもどこでもお金さえあれば簡単に手に入れることが出来ます。
しかし、日本がこのような状況になったのは戦後の高度成長期以降のことであり、今現在でも、食べ物を手に入れるのが困難な地域は世界中にいくらでもあります。
そして毎日地球上で多くの人が飢餓で亡くなっています。
私達人間は生き物である以上食べ物がなければ生きていくことが出来ません。
そしてその食べ物は、食材の調達、加工、流通等といった世の中の仕組みがうまく機能しているからこそ簡単に手に入れることが出来ます。
戦争や災害などでこの仕組みのどこか一つでも支障を来すととたんに食べ物の調達が困難になります。
日本でも、近年自然災害が増えており食べ物や生活必需品の流通に支障が出ることが時折あります。
食べ物は、有るのが当たり前のものではありません。
様々な条件が揃って初めてここに”有る”、つまり”有り難い”ものです。
有り難い食べ物を用意してくれたことに対して、その背景を踏まえて、「ご馳走さま」という言葉が食後の感謝の言葉となったのだと思います。
ところで、食前の「いただきます」と、食後の「ごちそうさま」という言葉。実は世界の標準語である英語には該当する言葉がありません。
英語だけでなく他の言語でも訳するのが難しいようです。
食事そのものだけでなく、作ってくれた人など食事に関連する全てのものにただ一言で感謝の意を表明する「いただきます」と「ごちそうさま」という言葉は、誇るべき日本の文化だと思います。
時代の潮流は様々に変わり、人の心も移り変わりますが、変わらないもの変えてはいけないものも世の中にはあると思います。
食前に「いただきます」、食後に「ごちそうさま」という習慣は時代が変わっても変えるべきでない大切な日本の伝統ではないでしょうか。
どうぞ、「いただきます」と「ごちそうさま」の言葉と習慣を大切にして頂きたいと思います。
住職記

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