殺してはならぬ 殺さしめてはならぬ

「すべての者は暴力におびえる
すべての生きものにとって生命は愛しい
己が身にひきくらべて
殺してはならぬ
殺さしめてはならぬ」
この言葉は四月にも引用した最古の経典「ダンマパダ」の中に出てくる言葉です。
仏教には昔から伝えられて来た戒律があります。
そのなかの十重禁戒という大切な戒律は十の戒からなっていますが、その第一番目は不殺生戒(ふさっしょうかい)という戒であり、殺生を禁じるものです。
人間を含む生き物にとって何が一番大切か?というとそれは命であると言えるでしょう。
その命を奪うことを一番やってはいけないこととするのはごく自然なことです。
今、ウクライナでの戦争で毎日殺し合いが続いています。人が沢山死んでいきます。
ニュースではどこそこの戦闘で〜人の死者が出たなどと毎日報道されていますが、死んでいった一人一人に死に到るまでの苦しみがあり、死んでしまった後はその死によってそれぞれの家族や友人の苦しみがずーっと続きます。この沢山の苦しみが死んでいった人の数だけ日々生まれ続けているわけです。
ウクライナには沢山のひまわり畑があるそうです。
第二次大戦で翻弄されるひと組の男女を描いた映画「ひまわり」のなかで、主人公がひまわり畑の中でこの下に多くの兵士の死体が埋められていると告げられるシーンがあります。
ネットで検索するとウクライナのひまわり畑の写真が出てきますが、地平線の彼方まで続くひまわり畑とその下に埋められている無数の兵士の死体、太陽に向かって咲く命のエネルギーの象徴のようなひまわり畑の下に人間の愚かさと悲しさを象徴するような兵士の死体が埋められているという強烈なコントラストには目眩を覚えます。
何があっても再生し続ける生命のエネルギーとしての”ひまわり”、そしていつ果てるともなく繰り返される戦争による人間同士の殺し合いを象徴する”無数の兵士の死体”。
なにか、殺し合いは人間の性なのかなとも感じてしまいます。
しかし、例え殺し合いが持って生まれた人間の性質なのであるとしても、同時に死を恐れ、死にゆく者の苦しみに共感し、助けてやりたいと思い、親しい者の死を悲しむのもまた人間の持って生まれた性質です。
なおさらに、「すべての者は暴力におびえる すべての生きものにとって生命は愛しい 己が身にひきくらべて 殺してはならぬ 殺さしめてはならぬ」という釈尊の言葉は大切にしなければならない、大切にされなければならない言葉であるのではないでしょうか。
住職記

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