放てば手に満てり

「放てば手に満てり」という言葉は道元禅師の書かれた弁道話(べんどうわ)という文章の中に出て参ります。
原文は簡潔にして難解なのですが、現実世界に即して解釈すれば、こだわりを捨てれば心が自由になり自在に人や物事に接することが出来るということかと思います。
人間には所有欲があります。物や人を自分のものにしたい自分だけのものにしたいという欲望です。
ほとんど本能的な欲望ですので完全に無くしてしまうことは出来ないかもしれませんが、この所有欲があまり強すぎると、こだわりとなってかえって自分自身を縛り、周りの人の迷惑となったりします。
あれも欲しいこれも欲しいという人間の欲望は様々な場面で人を惑わせます。
そんな煩わしい欲望から離れてみませんかというメッセージをこの「放てば手に満てり」という言葉には感じます。
この言葉の指し示すのは、持つ持たない所有している所有していないといった次元の一つ上のレベルの世界観です。
海岸に行き海に手を入れて、人間の両手ですくい取れる海の水の量は微々たるものです。しかし、手を入れたまますくい取ろうとせずに寄せては返す海の水の流れに任せれば、海の水と手とは一体のものとなり、どちらがどちらを所有しているという関係ではなく、融通無碍に行き来の出来る渾然一体とした関係になる。
「放てば手に満てり」とはそういうことを言っているのだと思います。
人間の社会に当てはめると、執着を捨てればみんなニコニコ仲良くなれると言うことです。

今、世界一大きな国土を持つ国が隣の小さな国を我が物にしようと戦争を仕掛けています。
地続きで親戚や知り合いが沢山住んでいる所に侵攻しています。
大地主が小さな隣人の土地を力尽くで奪おうとしているようなもの。
これは、あれも欲しいこれも欲しいという特定の個人の欲望が国家という装置によって極限まで拡大してしまった結果のように見受けられます。
かの個人は「放てば手に満てり」とは対極の「放てば次から次に全てを失う」という強迫観念にとらわれているように感じます。
人間の執着の悲劇かもしれません。
報道を見ていてやるせないのは、何の罪もない一般の市民、おじいちゃんおばあちゃんや小さな子ども達が傷つき死んでゆく現実です。
体が傷つくだけでなく、心にも深い傷を負って生きていかなければならない人が戦争が長引けば長引くほど増えてゆきます。
なぜこんなことがいつまでも続くのでしょうか?
私達個人に出来ることはあまりに限られています。
人間の社会とはこんなものなのかなと溜息が出ます。
ただただ早く戦争が終わることを祈るのみです。

住職記

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