病は気から

 「病は気から」、有名な言葉です。
気持ちが沈んでいたりすると、それが原因となって体の調子が悪くなり病気になってしまう、また逆に、気持ちの持ちようで病気を治すことも出来るという意味で使われています。
昔から言われている言葉だと思いますが、実際に医学的にも正しいことのようです。
緊張すると汗が出たり心臓の鼓動が早くなったりしますが、これは人間の心の状態が体の働きに実際に影響を与えているということで、ストレスが原因で血圧が高くなって心筋梗塞になったりガンになってしまったりということもよく聞く話です。
では、逆に気の持ちようで本当に病気を治すことが出来るのかと考えると…
血圧に関しては、血圧が高くなっている原因である精神的ストレスが無くなれば当然血圧が下がることは自然であり、血圧が下がればそれが原因で心筋梗塞になることもないでしょう。
ガンの場合は、精神的ストレスが無くなると、そのストレスによって低下していた免疫機能が元に戻ることにより体の調子が戻り、ガンも快方に向かったり、場合によっては治ってしまうということもあるのだそう。
つまり、気の持ちようで病気にならないようにしたり病気を治すことも出来るということです。
では、そういう「気」の状態にすれば誰も病気にならないのでは?とも思えますが、「気」の状態に関係無く、なる時はなってしまう病気もありますし、そもそも理想的な気持ちの持ちようつまり「気」の状態で何時もいるということが、体の調子や感情が揺れ動く人間には非常に難しいという現実があります。

それでもその「気」を調える方法はないのだろうか?と考えた時に、坐禅はまさにその方法としてピッタリなのではないかと私は思います。
何時も揺れ動く人間の心を調えるために坐禅があります。
柔らかいクッションの上にどっしりと体が安定するように座り、背中がピンとなるように背筋の筋肉だけを緊張させて、後は体全体の力を抜く。
眼は閉じず半眼に開き、ゆっくりとお腹で息をする。
完全にリラックスしてしまったら人間は寝てしまいます。
背骨という体の中心部の緊張とそれ以外の部分の弛緩という、緊張と弛緩のバランスによって覚醒したまま心をリラックスさせるのが坐禅です。
この坐禅によって身体と心の動きやリズムが自然と元のあるべき基本のリズムに戻って来ます。
誤解しないで頂きたいのは、坐禅をしていても何事にも動じない不動の心を得られるなどということはありません。
嬉しい時は喜び、頭に来た時は怒り、悲しい時は泣き、楽ちんな時はのんびりする。
ただ普通の心の動きが普通に活動するようになるということ。
人間の心が本来持っている基本のリズムに戻ると言うこと。
それが坐禅と言うこと。
単に身体と心のリズムを普通に戻すだけですから、劇的な効果はありません。
坐禅を長年続けている本人も、本当に効果があるのかなと思えるくらいです。
でも、人生の大きな波が来た時にその大きな波に翻弄されることは同じなのですが、その翻弄されている中でもそれなりに自分なりのパフォーマンスが出来る、あるいは波が過ぎた後に元の生活リズムに戻るのが早い、というようなことがあると思います。
坐禅は人の心を本来の基本の状態に戻してくれるのです。

今月5日は達磨忌と言って禅宗の祖である達磨様のご命日です。
達磨様にちなみまして坐禅の効用的なことを書いてみました。
本来、坐禅はこのような実利的な目的を持って行うべきではないのかも知れません。
しかし上に書いたような効果があるのは事実です。
心が調うところから仏道につながるということもあります。
まずは広く坐禅をお勧めしてみたいと思っています。
住職記

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