諸行無常

 諸行無常という言葉は平家物語の冒頭に出てくる言葉として有名です。
以下引用します。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」―引用おわり―
日本人の感覚の中にある無常観はまさにこの言葉によって表されていると言っても過言では無いくらい有名な文句です。
ここで、移ろいゆく人の世の儚さを表す言葉として諸行無常という言葉は使われていて、基本的に諦念と悲しみを言葉の雰囲気として持っているように思います。
しかし本来、諸行無常という言葉は単に変化して止まないこの世の中の性質を述べているだけです。
いつまでも今のままでいて欲しいという願望を人が持つがゆえ、それが叶えられない現実に対し諸行無常という言葉に託して悲しみを表しているのでしょう。

人は年を取り、いずれ死んでゆきます。
この運命から逃れることの出来る人はいません。
まさに諸行無常です。
しかし同時に、赤ちゃんが生まれ、大きく成長してゆくのも諸行無常であればこそです。
人の世が移ろいゆくものであればこそ生命の誕生があり、成長があります。
人間にとって都合が良くても悪くても諸行は無常だということ。
私は、諸行無常、諸行無常と、この世を諦観して見ているばかりが仏教ではないと思っています。
諸行が無常であればこそ、その諸行を正確に観察し、その移ろいゆき方を検討し、この無常の流れの中でどのようにすれば自分のベストのパフォーマンスを出すことが出来るか―そこに力を尽くすのがこの世に生を受けた者の自然な姿ではないかと思います。
草も木も動物も、地球上で生きている生き物達は皆そのようにして束の間授かった命を生きています。

今、日本は少子高齢化の流れの中でとめどなく人口が減ってきていて、さらに経済も低迷したままです。
このままどこまでしぼんで行ってしまうのかなというのが、日本の現状に対する率直な感想ではあります。
しかし現実は現実、人口が減って年寄りばかりになってゆくのが不可避ならばどのようにすればうまく世の中が動いてゆくのか考えてゆかねばなりません。
ウクライナの戦争は終わらず、コロナもまだ続いています。
仕方が無いと諦めず、無常の流れをよく見極めて、現実に即して行動して参りましょう。
住職記

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