散る桜 残る桜も 散る桜

 「散る桜 残る桜も 散る桜」
これは良寛和尚辞世の句とも言われている有名な俳句。
太平洋戦争の特攻隊の兵隊さんが遺書に書き記したことでも知られています。
意味は説明するまでもないと思いますが、
「今はらはらと散っている桜の花びらがあり、枝に残っている花びらもある、残っている花びらもいずれまた散っていくだろう、命あるものは必ずその命の終わる時が来る」
というような気持ちを詠んだものでしょう。
桜の花は咲く時も散る時も誠に速やかであり、また咲いている時間が短いこともあり、儚いものの代表のように歌や俳句によく取り上げられます。
人間年を取ると時の経つのが速く感じられると言います。
だとすると桜が咲いて散ってゆくサイクルも速く感じられるのだろうと思われ、年を取れば取るほど桜の花の儚さが強く感じられるということになります。
当山では境内の隣で小さな保育園をやっており住職の私が園長をしております。
毎年桜の季節になると卒園式があり、入園式があります。
今年も先月の末に何名かの園児が巣立っていきました。
この間入ってきたように感じる子供達もいつの間にか大きくなってもう小学生。
桜の季節が来る度に子供の成長の早さを感じます。
子供の成長は嬉しいことです。
夢があり、未来への希望を感じます。
しかし、人生の真ん中を過ぎた(私のような)大人にしてみると成長はすでに老化に変わり、夢は先行きの不安となり新しい希望を持つことはなかなか難しいことです。
客観的にはそれぞれ同じ生命の誕生から死へと到る過程の一部分にしか過ぎないと分かっていてもリアルタイムの人生を生きている当事者としてはそんな割り切った感覚ではいられません。
結局のところ、何を考えたところで、子供の成長は楽しく、自分が年を取るのは嫌だということに変わりはないようです。

また今月入園式で小さな子ども達が新しく入ってきます。
桜の花は今年も散りますが、次の春にはまた咲くでしょう。
散りゆく我が身を観じながら良寛さんは「散る桜 残る桜も 散る桜」と詠んだのだと思いますが、私としては今はまだ次のように付け加えたいように思います。

散る桜 残る桜も 散る桜
散ってまた咲く桜花かな

いずれにしても春は気持ち良いものです。
住職記

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