上品の華

 昨年春、私の父であり師である先代住職が亡くなった際に、師が生前から親しくさせて頂いていたあるお寺の住職さんが密葬の際に遠くから車でお越しになり、その時、蓮の根と土が入った鉢をお土産に頂戴いたしました。
おそらく、お供えのお花になるようにという意味だったのだと思います。
頂戴した際の指示通り水を張って放っておいたところ、夏になると泥の中からすくっと茎を伸ばし正に仏の世界を感じさせる清らかな風情で空中に綺麗な花を咲かせました。
上品(ジョウヒン)という言葉があります。
気品があるというような意味で良く使われる言葉ですが、元来は仏教用語であり、仏になる優れた性質があるというのが元々の意味。
仏になる性質を上品、中品、下品と分けたことに由来する言葉です。
仏教用語としてはジョウヒンではなくジョウボンと読み、ちなみに”下品”も一般に使われる言葉ですがゲヒンではなくゲボンと読みます。
曹洞宗で、亡くなった方へ僧侶がお唱えする回向文(エコウモン:読経の功徳を回し向ける願文)の中に「蓮は上品の華を開き、仏は一生の記を授く」という言葉が出て参ります。
これは― 蓮は美しい(仏の世界の)華を開き、仏は人々へ仏に至る道筋をそれぞれに指し示す ―という意味の亡くなった方を仏の世界へ送り出す美しい言葉です。
仏の世界は現実から離れてあるわけではなく、あくまでこの苦しみや悩み多い現実を踏まえて現れてくるものなのだということを、泥の中から美しく咲く蓮の花に託して感じさせてくれます。

泥の中にある蓮の根はいわゆるレンコン(蓮根)であり普段私たちが食べている食材です。
シャキシャキした食感で私は結構好きなのですが、その蓮根から泥を突き抜けて茎が伸び、その先に花が咲く。
私たちが生きている現実の先に仏の世界があります。
つながっています。
人生生きていると色々なことがあります。
つらいことや悲しいことや楽しいことや嬉しいこと。
でもそういう諸々を踏まえて、乗り越えていったその先に安らぎの世界があるのですよと蓮の花が教えてくれているように感じます。
昨年頂戴した蓮は今年も見事に花を咲かせました。
来年からも綺麗に咲くように、これからは蓮を届けて頂いた住職さんに教えて頂いたように毎年春に手入れをしようと思っております。
泥中に花を求める気持ちを大切にして行きたいと思っております。
住職記

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