命のつながり

 天気予報では今年の夏は平年より暑くなるという予想が出ているようです。
最近は少しずつ夏の暑さが厳しくなってきていますので、平年より暑くなると言われても、なんとなく当たり前のような気がしてしまいます。
常仙寺があるのは連日国内最高気温の常連になっている群馬県の平野部ですので、七月八月の日中は外に出ただけで乾いたサウナの中に入ったような頭がクラクラしてくるような強烈な暑さです。
気温だけ見ると亜熱帯気候の沖縄県より暑いので、群馬県はとうとう熱帯になってしまったのか?とも思えて来ます。
そんな暑さの中、今年もお盆がやって来ました。
お盆というと若い人にはまとまって休みが取れる大人の夏休みというような印象があるかも知れませんが、もともと仏教行事であり、亡くなった人の魂を家に招いておもてなしをする古くからの習わしです。
都会では、お盆は田舎の両親あるいはおじいちゃんおばあちゃんの家に行って過ごすという人も多いと思いますが、そういう場合は是非そのお家のご仏壇にみんなでお線香を上げて手を合わせて下さい。(ご仏壇がないお家の場合、ご先祖や直近に亡くなった方のお話しを集まった方でして頂けたらと思います)
血のつながった家族が、つながりの中心となる家に集まって先祖に供養し同じ時を過ごすというのがお盆のとても大切な要素だと思います。

命は地球に生命が生まれた太古の昔から現在に到るまで連綿とつながっています。
人間は、ポンと自分だけでこの世に生まれ、フワッと消えていくわけではありません。
父がいて母がいて、おじいちゃんおばあちゃんがいて、更にその前の世代が時間の彼方に消えるまで続いている。
そして自分に子供がいればそこから未来へ向けて同じように命が続いてゆく可能性がある。
それが命というもの。
時間の流れの中でつながっていて、空間の広がりの中でもつながっている。それが人間を含めた生き物の現実の姿だと思います。
そのつながっている命の再確認をするのがお盆という行事なのではと私は思っています。
命のつながりの中に自分の命もあるという感覚を身体のどこかに持っていると、なぜか考え方にゆとりが出てくるように感じます。
親が子を殺したり、子が親を殺したり、通りすがりの人をいきなり刺し殺したりする事件が最近多いように思いますが、こういう事件の背景には社会の中に”つながり”が欠如してきていてそれが人の孤立を生み、その孤立が酷い事件を生み出しているように思います。
人と人との”つながり”のおおもとは命のつながりです。
お盆は命のつながりを再確認し涵養する大切な場です。
さあお盆だ!連休だ!レジャーへレッツゴー!というのも結構ですが、お墓参りやおじいちゃんおばあちゃんの家で昔の話を聞くということも大切にしていくべきなのではと思います。
住職記

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