涅槃会

 世界の三大宗教と言われるのはキリスト教、イスラム教、仏教です。
このうちキリスト教とイスラム教は一神教であり神様の宗教です。
対して仏教は人間の存在の上に隔絶した神様のような上位の存在を置かない宗教です。
いやでは仏様はどういう存在?ということになりますが、仏様はあくまで人間の延長線上の彼方にある尊い存在であり。あくまで繋がっている地平の先に存在しているものだと思います。
キリスト教徒やイスラム教徒が神様に祈る時、気持ちとしては上に向かってつまり天に向かって祈る意識があるのではと思いますが、私達仏教徒が何かをお祈りする時には、目の前にある仏様や空の彼方の仏の世界に向けてお祈りをするように思います。
ここで空の彼方というのは水平線や地平線の彼方の遥か遠い仏の世界ということ。
何が言いたいかというと、キリスト教やイスラム教では祈りの方向が上方向つまり天なのに対して、仏教では祈りの方向が横方向、つまり水平なのでは?ということ。
仏教はあくまで人間による人間のための宗教であるがゆえ、このような上へ向けてでは無く私達の生きる地平に沿った方向への祈りになるのだと思います。
お釈迦様は信者がお釈迦様のためにと供してくれたキノコ料理を食べておなかを壊し(今で言う食中毒だと思われます)亡くなられたと伝えられていますが、亡くなる際の様子や言動はお経の中に詳細に記されています。
お釈迦様は悟りを得て仏となられましたが、肉体的には人間であることに変わりは無く、普通の人間と同じように生老病死の時間の中の存在として苦しみや悲しみの中にありながらその苦しみや悲しみを滅する道を説き、そこから今に続く仏教が始まりました。
仏教は人間が説いた人間の宗教です。
阿弥陀仏の居る世界=極楽浄土は我々の世界から西の方向に十万億仏土の距離があるとお経に記されており、弥勒菩薩は五十六億七千万年後にこの世に生まれ人々を救うと伝えられます。
いずれもとてつもなく遠く、考えも及ばないほど未来だとしても、今のこの世と空間も時間も繋がっている世界です。
隔絶した神の国の話ではありません。
腹痛に苦しみ、おそらくは下痢便にまみれながら弟子達に自らの死の後何をよりどころとしてどのように修行していったらいいか懇切に説き示してお釈迦様は亡くなられました。

仏教に奇跡はありません。
どこまでも現実は現実のままです。
そして現実の中には常に様々な苦しみがあります。
その中で、どのようにしたらそれらの苦しみを離れ安らぎに至ることが出来るのか?
それを説き示したのがお釈迦様であり、その説き示した内容が仏教です。
二月十五日はお釈迦様の亡くなられた日としてお寺では涅槃会(ねはんえ)という法要を行いご供養を致します。
この法要の際に涅槃図というお釈迦様が亡くなられた際の様子を描いた絵を掛けるのですが、この絵にはたくさんの弟子や集まった人々が描かれ、また動物たちもたくさん描かれており、どれだけお釈迦様が人々に慕われていたか感じることが出来ます。
人の心のぬくもりを感じることの出来る、人間による人間のための宗教。
それが仏教だと私は思います。
住職記

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