風神雷神

 最近は急な大雨が全国各地で頻繁に降るようになりました。
特に九州などの西日本では線状降水帯が長く続いたりして多くの被害が出るようになっています。
ここ群馬県高崎市では有難いことに災害といえるほどの大雨は今のところあまりありませんが、それでも夕立でもないのにいきなり風が吹いて雨が降ってきたり大きなひょうが降ってきたりといったこれまではなかったような天気が多くなって来たように感じます。
また、高崎の夏は日によっては日本一になることもあるほど猛烈な暑さになります。
昭和の頃は暑いといっても33~34度位だったように思いますが、地球温暖化で気候が変わってきているようです。
道路や橋や鉄道などのインフラは、台風や線状降水帯での大雨といった極端な天気になるととたんに使えなくなってしまいます。
対策はとられているのだと思いますが、すべての状況に対応することは現実的には不可能です。
自然の力の前には、人間は誠に無力。
小さな台風一つのもつエネルギーは広島型原爆2万発分だそうです。
大きな台風になると広島型原爆何百万発分という莫大なエネルギーをその進路上に放出するのだそう。
人間が対抗しようと思っても無駄なわけです。

さて、風神雷神図屛風という有名な国宝の屏風があります。
誰でもどこかで見たことがあるのではないでしょうか。
私は中学校の時に教科書か何かで見て、金ピカで鬼のような怖そうな神様が描かれていてずいぶん迫力のある絵だなと感じたのを覚えています。
古来、神とは畏怖すべき対象でした。
風も雷も、人間の力の及ばない圧倒的な力で人間界に猛威を振るいます。
その一方で恵みももたらす。
怖れと敬いをもって自然に向き合い、その力の象徴として神を祀った。
それが、私たち日本人にとっての自然であり、神であったのだと思います。
であるがゆえに、あの風神も雷神も鬼かと思えるほどに怖い姿で描かれているのだと思います。
現代の日本人にとって”自然”という言葉は癒されたり健康にいいといったイメージがまずあると思います。
しかしこれは自分たちが作った都合のいい環境の中で生活のほぼ全てが完結してしまっているがゆえの感覚であり、もしかすると母なる自然に”ボーっと生きてんじゃねえよっ”と喝を入れられているのがこの地球温暖化の問題なのかもしれません。
”自然”とはそんなまったりしたものではなく、人間を含む生き物全てに生を与え、育み、そして奪う全能なる”全て”なのだと思います。
もっと自然を怖れそして敬う心を昔の人のように持つべきなのではないか?そのように感じます。
自然を怖れ敬う心から、人同士の連帯と思いやりの心も自然に出てくるのではないでしょうか。
人は(大なる自然と比べて)生き物としての自らの弱さをもっと自覚するべきであるように思います。
住職記

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