同事(どうじ)

 ”同事”とはつまり他への共感。
自他の区別を超えて他人を思ってあげられる心ということ。
平たく言えば”思いやり”です。
思いやりの心を大切に…良く言われる言葉です。
民族を問わず、宗教を問わず、古今東西人間のあるべき姿として説かれています。
しかし、現実にはなかなか実行が難しいことでもあります。
人間はまず動物であり、動物には自己保存本能があり、ゆえにまず自分が大切。
自分の利益を損なってまで他人のために行動をするということは、かなり強い精神力を持っていないと出来ることではありません。
また、自分の身近にいる人達の苦しみや悲しみには共感することが出来ても、遠く離れた世界で起きている人々の不幸に対しては、それがたとえ地の底でのたうち回るような悲惨なものだとしても、テレビの映像で多少見たくらいでは、本当に共感するということはなかなか出来ません。

この間、かつてお寺の隣に住んでいらっしゃった方で今はドイツで翻訳や通訳をされている方から久しぶりにメールを頂きました。
その方が翻訳された「ヒマラヤを越える子供たち」という本についての紹介と本のテーマでもあるチベットの人々の置かれている苦しい状況についてもっと日本の人々に知ってもらいたい。という趣旨でした。

テレビで時折チベット僧が中国政府への抗議のため焼身自殺をした云々というニュースが出ることがあります。
チベットは大変なんだな。なんとなく、そんな風に感じていました。
ちょっと前の映画でセブンイヤーズインチベットという映画があり、その映画を見てチベットの現在の状況に到る歴史は多少知っていましたが、チベットという国が日本の日常とあまりにかけ離れているためか、どうしても”遠い国で起こっている不幸”という単なる事実として頭の中で事務的に整理されていたように思います。

紹介された「ヒマラヤを越える子供たち」を読んでみました。
そこには、大変リアルな物語がありました。
中国の圧政に苦しむチベットの人々の生の姿、そしてその苦境から逃れるためインドへの亡命を目指し10才に満たない子供までが命がけでヒマラヤを越えてゆく。
この本は厳冬のヒマラヤ越えに挑んだチベットの子供達とそれを取り巻く大人達の現実の亡命の物語です。
一人一人の物語が、時間の流れに沿って順繰りに語られていきます。
読み終わった後に感じるのは、チベットの人々への親近感と、今この時も変わらず続いているであろうチベットの人々の苦しみ。
チベットは同じアジアの同胞です、そして何より現在インドへ亡命しているダライラマを法王と仰ぐ敬虔な仏教徒の国です。
何か私に出来ることはないか。
そんな風に感じました。
住職記

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