並榎山常仙寺
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お寺の紹介

所在地 〒370−0802 群馬県高崎市並榎町331番地
電話 027−322−7644
FAX 027−326−0935
名称 並榎山 常仙寺
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
開山 松齢恕嶽大和尚
開基 飯塚常仙(光徳院心徹常仙居士)
開創 寛永5年(西暦1628年)
現住職 保坂俊英(25世)

常仙寺全景
由緒
 曹洞宗並榎山常仙寺は、一六二八年(寛永五年)徳川家光の時代に、水運業を営む飯塚常仙(光徳院心徹常仙居士)が藤岡市森の泉通寺の四世である松齢恕嶽大和尚を開山として創建したと伝えられる。
 曹洞宗の寺院としては、武士階級以外のものが開基となっているのは珍しい。
 近年まで道路網が現在のように整備される前には、河川を使った舟による輸送が物品流通の重要な手段であり、当寺の南側を流れる烏川においても水量もかつてはだいぶ多く、盛んに舟運が行われていた。

まつられている仏様
 当寺の南側、烏川の手前を旧中山道が通っている。その中山道に面し明治期まで小さな門が有り参道を経て石段を登るとかつて黒門といわれていた現在の山門に至る。
山門の手前右側に地蔵尊が立っている。
 山門を入ると左手に女性の安産を守護する二十二夜様と言われる如意輪観音が祀られており。さらに右手に眼病を治すとされる薬師如来(通称目薬師)が祀られている。
 如意輪観音はその他境内各所に点在する。書院中庭の如意輪観音
 また、近年、本堂向かって右手に六地蔵尊が建立された。
 寺の本尊は釈迦牟尼佛であり作者制作年代は不詳である。
 本尊のほか、江戸時代末期に小田原の大雄山最乗寺より勧請した道了尊尊像があり。近年まで正月に年頭の祈願祭を行っていた。

堂宇(建物)
 現在の本堂は、木造の旧堂宇が老朽化したため、昭和五十一年に新築されたものである。
鉄筋コンクリート二階建て(半地下式)で、二階部分が本堂であり、下の半地下式の一階部分は書院となっている。
 庫裡も本堂に続いて老朽化のため昭和五十八年に建て替えられている。庫裡
 かつて境内東側には黒門に対し赤門といわれた山門があったが、戦後境内にて保育園を開園する際、園舎建設のため取り壊された。
 烏川の側から見ると境内は高台にあり、今は川の流れも変わり国道も出来て見渡すことは出来ないが、往時は川の様子がかなり遠くまで一望できたのであろうと思われ、この地を選んだ開基飯塚常仙の心中を察することが出来る。
 戦前まで、境内下の地には各所に清水が湧出し、泉が多く、明治期まで境内の下南西の隅に庵があり住職の隠居所となっていたという。

人物・社会事業
 二十二世の碧天元哉和尚は本県の聾唖教育の先駆者であり、大正十一年に現高崎市立北小学校地内にあった私立高崎樹徳子守学校の一部屋を借用して、私立高崎聾唖学校を開校。それまで顧みられることのなかった聾唖者への教育に尽力した。
その後この私立高崎聾唖学校は他の同種の学校と合併統合の変遷を経て、現在は県立聾学校となっている。
 他に社会事業として、当寺においては、戦後昭和二十八年に境内の一部を用地に提供し保育所「せんだん保育園」を開園。せんだん保育園
爾来現在まで児童福祉事業に携わっている。
 墓所には、映画「ここに泉あり」で知られる群馬交響楽団の生みの親であり育ての親でもある故丸山勝廣氏の墓があり、墓銘には”泉は涸れず”と刻まれ、氏の楽団への情熱を偲ぶことが出来る。

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並榎山常仙寺  〒370-0802群馬県高崎市並榎町331 電話027-322-7644